顔のない美女図鑑

顔が写っていないのに美女としか思えない写真の数々

座る

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「動詞一語のタイトル」というのは、たまたま思いつきで前回やってみた案だが、よく考えてみると便利でわかりやすい。

そもそも、写真を見て「何」を中心に鑑賞するべきか、文章にする以前の意識がうまく動けずに停止してしまうようなことが時々あるので困っている。

 

たとえば今回の写真は「顔のない美女」としての合格点は、間違いなくクリアしている。

いかにも顔がなく、それでいて、いかにも美女である。

 

ところが、画面内にいろいろな物が目につく割には、これという鑑賞ポイントを見つけにくい。

斜めに走っている、水面とプールサイドを分ける直線。

少しだけ見えている頬の輪郭と、睫らしき部分。

髪型。

美しい背中、くぼみと肩甲骨。

お尻。

椅子。

影。

などなど、いずれもそれなりに良いが、どの部分も芝居でいうと脇役のような、捉え難さがある。

 

そういう苦しい場合でも、文章としては例えば、

「一体なぜ、この人はこんな場所に椅子を出して座っているのか?」

「なぜ、裸なのか?」

「その視線の先にあるものは何か?」

という疑問を出発点にして、仮説や推理や妄想を繰り広げることができるし、

「睫のように見える部分は、水面に映っている木の姿なのかどうか?」

「影の角度から考えると、時間は何時頃になるのか?」

「椅子のデザインから考えると、時代はいつ頃になるのか?」

と、あれこれ考えることもできる。

最終的には、こういう取り留めのない、関心の焦点を合わせづらい写真は、じっと考える時間を与えてくれもするので「それはそれで、よいではないか」と結論づけることもできる。

 

しかしタイトルとしては「プールサイド」「影」「椅子」「水面」など、いずれも平凡だし、ぴったりしない。

こういう場合「座る」というタイトルは、複数のカテゴリーにまたがる写真をまとめるのに適している。

今回はもう「座る」と題してしまえば、「座る」以外は何も思いつけなくなるほどピッタリしている。今後また「座る」にふさわしい写真があれば「座る」シリーズを続けることもできる。

 

そういう訳で、今後も「動詞一語タイトル」という逃げ道を上手く使いこなしていきたい。

 

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