一枚の写真に複数の要素が含まれる場合、どの要素をどのように優先して鑑賞するべきなのか。
映画や小説においては「主人公」の存在を見誤るようなことはまず無い。
写真の場合は概ね、
「画面の中央部にある物」
が主人公にあたるものと判断するのが妥当な線であろう。
では、主人公以外の要素に関しては、どのように考えるとよいのであろうか。
実は、色彩や構図や象徴性が主人公であるというケースも考えられるのかもしれない。
この写真は当初「秋」という題名で扱う予定であった。
しかし、よく見ると、
「カメラ女子」
「窓辺」
「鏡」
「猫」
と、様々な要素が含まれていて、さらに見逃せないことには、
「美脚」
でもあるではないか。
さらにまた、窓辺に並べられているカメラの量は、何を意味するのだろうか。
なぜこの猫は、ここまで太っているのだろうか。
この写真は誰が撮っているだろうか。
この辺りの要素からドラマ性を読み取れなくもない。
さらにこの女性は、何を写そうとしているのか。
太った猫のお尻か。
背後から撮るのではなく、カメラ越しに覗くことが目的のようにも見える。
などなど、きりがないほどあれこれと連想が働く。
以前にも書いたが、画面に多くの要素を含んでいる写真や、カテゴリーの上であちらにもこちらにも跨っている越境的な写真は、総じてレベルが高いように思われる。
これはよく言われる「ハーフやクォ―ターは美人が多い説」と通底してもいるようだ。
ただ、あれこれお喋りできる種を提供してくれるから、これは優れた作品であると考えがちな傾向も少なからずある。
無名の某氏が撮った写真であるという前提で見る場合と、
波乱万丈の戦後を生き抜き、晩年は国際的な評価が高まり、ついでに最後は狂死してしまった偉大な写真家が残した遺作であるという前提で見る場合では、やはり見る目が少し違ってくる。
では、要素を「猫」と「美脚」に絞るとどうなるのであろうか。
絞った分だけすっきりして良くなったのか、味気なくなってしまったのか。
最初の写真と見比べて、
見比べて、
さらに見比べて、
目が回るほど見比べても結論めいたものは出せそうにないが……。
一応今は秋なので、秋っぽい雰囲気に持っていきたいという目的は達せられたように思う次第である。
今回で猫シリーズは一旦お終いであるが、次回以降は動物シリーズで一週間が埋まりそうなので、お楽しみに。